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「躍動派KINETISMUS」 展


2裸体のコンポジション
(マイ・ウルマン)
【ウィーン23日=小笠原正佳】 ウィーン博物館 (Wien Museum) で 「Kinetismus (躍動派)、ウィーンが前衛美術を発見する」 展が5月25日から10月1日まで開催され多くの関心を集めている。フランスではキュビズム、イタリアでは未来派などの芸術運動が展開されていた時期に、ウィーンでも前衛美術運動があった事実を再発見しようという趣旨だ。 躍動派はウィーンの美術教育家であるチチェックの工芸学校における 「装飾的フォルム理論」 という講義に参加した生徒によって1918年に誕生し、1924年には頂点に達したが、チチェックが講義をやめてしまうと忘れられた存在になってしまう。チチェックの革命的教育的実験からうまれたといえる。ダイナミックな色や自由な形式での表現は、ウィーンではそれまでなかったものだ。

「躍動派」 を代表するチツェックの工芸学校 (今日の応用技術大学MAK) の生徒である三人の女性は、エリカ・ジョバンナ・クリーン (Erika Giovanna Klien, 1900 - 1957)、マイ・ウルマン ( My Ullmann, 1905 - 1995)、エリザベート・カリンスキー (Elisabeth Karlinsky, 1904 - 1994)。躍動派を代表する作品として紹介されるのがマイ・ウルマンの 「2裸体のコンポジション」 で、躍動派の特徴である幾何学的構成と色彩の組み合わせの両方を提示している。動画のコマ送りを重ね合わせたような構成から、アブストラクトな表現が生まれた躍動派の特徴が見て取れる。チチャックは対象を正確に再現する写生を絵画教育の基礎とする当時の教育法に対して、描く本人のファンタジーを表現することを絵画教育の根本にすえた革命的な教育者であった。チチャック教室は 「教えず、学ばず、自分の持っている素質を伸ばす」 がモットーだった。

チチャック教室を代表する三人は、工芸学校後は外国に散ってしまう。クリーンは1929年にニューヨークに渡り絵画教師と画家の道を歩み、ウルマンはウィーンのユーゲントシュティールなどの工芸品メーカー、バックハウゼンで色彩に富んだ、サイケデリックな生地のデザインなどをした後、1920年末にドイツに移住し、舞台芸術家、画家として生計を立てた。カリンスキーはニューヨーク、パリ、コペンハーゲンと移住し、各地で本のイラストレーターとして活躍した。

躍動派があっという間に消えうせてしまったのは、代表するアーチストが女性であり、当時は女流画家に対する評価が偏見的に低かったことが原因だといえます。また、工芸学校の美術科目が、選択科目から必修科目になったため、絵画に関心のない生徒も授業に参加するようになり、チチャックの教育に対する熱意が消えうせ授業をやめてしまったことが大きく影響した。

突然消滅した躍動派は70年代に再発見・再評価され、日本でも1985年に 「チチャック、子供の芸術教育のパイオニア」 展が武蔵野美術大学などの主催で開催されたが、芝居の演出などに与えた影響を含めた大規模な展覧会開催には至らなかった。そして、今回消滅80年後にそれが実現した。

 

チチェック学派の描写コンポジション
(エリカ・ジョバンナ・クリーン)

時計の構想
(エリカ・ジョバンナ・クリーン)

 

(2006年9月23日)

 

 

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